先日、アイドルホースの元祖だったオグリキャップが亡くなりました。25歳でした。人間の歳に換算すると80歳くらいですので大往生なのですが、自分が競馬にのめり込んでいた20年前がつい最近のことのように思い出されます。
1988年その芦毛の競走馬は中央競馬にデビューしました。
地方の笠松競馬で抜群の強さを発揮して8連勝したのち、中央競馬に乗り込んできたのですが、順風満帆ではありませんでした。
競走馬のセリでは良血馬は数億の値段がつきますが、オグリキャップの血統はあまりいいものではなく数百円の値段しか付かなかったのです。当然馬主の小栗さんも大きな期待をすることもなくクラシック登録をしなかったのです。この登録をしないと皐月賞、ダービー、菊花賞の三冠レースには出場できません。
この当時は馬齢の数え方が違い、4歳馬クラシックと言いました。
2000年以前は生まれた年を当歳といい、誕生日を迎えると2歳になりました。現在は人間と同じ数え方ですので誕生日で1歳になりますので、3歳クラシックと今は言っています。
ダービーが行われた同じ日に出走した「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」では2着に10馬身以上差をつけレコードタイムでゴールし、ダービーに出ていれば勝っていたと思わせる豪快な勝ちっぷりでした。
その年の有馬記念では最強古馬のタマモクロスを破り優勝し、最優秀4歳牡馬に選ばれました。クラシックレースに出走しないでこの賞を取ったのは後にも先にもオグリキャップただ一頭です。数年後、追加料金を払えばクラシック登録をしていなくても、出走できるようにルールも変更されました。
そんな悲劇的な境遇から並み居る古馬をやっつけるオグリキャップに愛着がわき、オグリキャップの出るレースはすべてオグリキャップを買い、部屋にはポスターを貼り、ぬいぐるみを飾りました。(競走馬のぬいぐるみはオグリキャップから始まったのです。)
完璧なオグリキャップオタクでした。
5歳になると、そんな人気馬ですので、馬主も出走ペースを早めドンドンレースに出しました。マイルチャンピオンシップでは4コーナー5番手でさらに進路をふさがれる不利がありながら、最後の追い込みでハナ差で一着になり、なんとその翌週には連投でジャパンカップに出走し、世界レコードで一着になった外国馬のホーリックスと同タイム(2分22秒2)で2着に入りました。
この頃から無理がたたって、疲労が蓄積していたのでしょう。次の有馬記念ではいいとこなく5着に破れました。そんな疲労が溜まっているなんて、知るよしもなくオグリキャップの単勝に全財産を賭け、一文なしになりました。
そのことよりも、オグリキャップが5着になったことがショックでした。
翌年も天皇賞(秋)で6着、ジャパンカップで11着と大敗し、限界説や引退説が噂され、有馬記念は出ないのではと思われました。
ところが、有馬記念で引退することが発表され、出走することになったのです。
ほとんどのレースで1番人気を得ていたオグリキャップですが、さすがに最後の有馬記念では4番人気に甘んじました。
スローペースがオグリキャップの味方をしたのか、4~5番手につけ4コーナーを回り直線を向くと一気に先頭に立ち、メジロライアン、ホワイトストーンの猛追を退け1着でゴールしたのです。オグリキャップの単勝馬券を握りしめ号泣したのが昨日のことのようです。
「奇跡の復活」は今後も語り継がれていくことでしょう。引退後は種牡馬になったのですが、もともと血統がいいわけではないので、結局重賞で勝つ子供は生まれませんでした。2年前にはその種牡馬も引退しこれからのんびり余生を送る矢先に放牧中に後足を骨折し、亡くなってしまったのです。「芦毛の怪物」は記憶に残る根性のサラブレッドでした。
ちなみにオグリキャップの引退とともに、競馬から引退した自分のことは誰も知らない。
ここからが、本題です。
朝テレビを見ていると、「とくダネ」で夏の涼しくなるグッズの特集をやってました。お店で扱っている大作商事のマジクールがその特集の中心で、クイッククールやドリンクミストに小倉さんはじめ、出演者がはしゃいでいました。「今さら」と思いながら、見ていると自分の知らない商品が出てきました。
「マイファンモバイル」と言って、iPod風のものを首から下げ、正面からファンが空気を吸い上げ首に向けて風を送るシンプルなものですが、見た目がさりげなくていい感じです。


早速仕入れましたので、暑さ対策にいかがでしょうか。